河上公(かじょうこう)は、古代中国の伝説上の人物。前漢文帝期の隠者。王弼と並ぶ『老子』注釈者の筆頭。

人物

姓名不詳。「河上」は「黄河のほとり」を意味する。河上丈人とも呼ばれる。

葛洪『神仙伝』河上公伝、および葛玄『老子道徳経序訣』に、以下の説話が伝わる。

前漢文帝の時代、河上公は黄河のほとりに庵を結び、『老子』を読んでいた。同じころ、文帝や臣下も『老子』を読んでいたが、誰も意味を説明できない箇所が複数あった。すると、侍郎の裴楷が、河上公なら説明できるだろうと進言した。文帝は河上公に使者を送ったが、河上公は拒絶した。そこで文帝は自ら行幸して河上公を訪ね、河上公の高慢さを指摘した。すると、河上公は座したまま空中浮遊した。文帝は河上公が神仙であると気づき、謹んで教えを請うた。河上公は文帝に、1700年前に書いたという秘伝の注釈書を授けると、たちまち姿を消した。

『老子』河上公注

『老子』の注釈書『老子道徳経河上公章句』、通称「河上公注」が現存する。

実際の著者は不明。成立年代は漢代から魏晋南北朝の間で諸説あり、段階的に形成されたとする説もある。

河上公注と王弼注は、解釈だけでなく本文や受容者も異なる。王弼注が哲学的・抽象的で知識人に多く受容されたのに対し、河上公注は道教的・養生論的で道士に多く受容された。河上公注の特色は「治国」(政治思想)と「治身」(自分の身体を治める思想)の両立にある、とも言われる。「治国治身」は、唐の玄宗『御注道徳経』にも継承された。

日本では、江戸時代に林希逸注や王弼注が主流になるまで、すなわち平安時代から江戸初期まで、河上公注が主流だった。国宝含む古鈔本や古活字本が現存する。

日本語訳に 谷中 2022 がある。

関連項目

  • 仙台市#市名の由来

脚注

注釈

出典

参考文献

  • 楠山春樹「老子河上公注の研究」『老子伝説の研究』創文社〈東洋学叢書〉、1979年。https://dl.ndl.go.jp/pid/12215101。 NDLJP:12215101
  • 古勝隆一「道とは何か 『老子』河上公注を読む」『人文』第59号、京都大学人文科学研究所、8-10頁、2012年。http://hdl.handle.net/2433/160490。 
  • 蜂屋邦夫『老子探究 生きつづける思想』岩波書店、2021年。ISBN 978-4000026079。 
  • 藤原高男 著「河上公」、坂出祥伸; 山田利明; 福井文雅; 野口鐵郎 編『道教事典』平河出版社、1994年、65-66頁。ISBN 9784892032356。 
  • 松井真希子「日中における『老子』王弼注の位置づけ 荻生徂徠を中心に」『東アジア文化交渉研究』第1号、関西大学大学院東アジア文化研究科、2012年。 NAID 120005687409。http://hdl.handle.net/10112/7389。 
    • 再録: 松井真希子『徂徠学派における『老子』学の展開』白帝社、2013年。ISBN 4863981333
  • 谷中信一『『老子』河注・王注全訳解』汲古書院、2022年。ISBN 978-4762967214。 
  • 山城喜憲「河上公章句『老子道徳経』古活字版本文系統の考索(上)」『斯道文庫論集』第34号、慶應義塾大学附属研究所斯道文庫、1999年。https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00106199-00000034-0037。 CRID 1050282813923511168
    • 再録: 山城喜憲『河上公章句『老子道徳経』の研究』汲古書院、2006年。ISBN 978-4762927607。 

王弼老子注,自然(第4页)_大山谷图库

老子道德经 汉河上公注本 庄子南华经 晋郭象注本 两函十二册_老子 庄子_孔夫子旧书网

道德经序敦煌图片

001河上公道德经述成·体道:道可道 知乎

河上公章句述成·道经·运夷第九 哔哩哔哩