紀元前415年(きげんぜん415ねん)は、ローマ暦の年である。
当時は、「コッスス、ウイブラヌス、ウオルスス、キンキナトゥスが護民官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元339年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前415年と表記されるのが一般的となった。
他の紀年法
- 干支 : 丙寅
- 日本
- 皇紀246年
- 孝昭天皇61年
- 中国
- 周 - 威烈王11年
- 秦 - 霊公10年
- 晋 - 烈公元年
- 楚 - 簡王17年
- 斉 - 宣公41年
- 燕 - 閔公24年
- 趙 - 献侯9年
- 魏 - 文侯31年
- 韓 - 武子10年
- 朝鮮
- 檀紀1919年
- ベトナム :
- 仏滅紀元 : 130年
- ユダヤ暦 : 3346年 - 3347年
できごと
ギリシア
- アテナイの雄弁家、政治家アンドキデスが、シケリア(シチリア)へのアテナイの遠征軍が出発する直前に起きた「ヘルマ」(ヘルメース柱像)破壊事件に関与した嫌疑で投獄された。この破壊事件は広く大騒ぎを起こしていたが、アンドキデスは誘導されるままに証言をした。アンドキデスの証言は採用され、アルキビアデスをはじめ、彼が言及した人々に死刑の宣告が下された。アンドキデス自身はアテナイから追放となった。
- 将軍ニキアス (Nicias)、ラマコス、アルキビアデスが率いる、アテナイのシケリア遠征軍が出港した。艦隊の出発後、アルキビアデスは神を冒涜したとして訴えられ、アテナイに戻って裁判を受けるため帰還を命じられた。
- アルキビアデスは、自分が欠席裁判で死刑となったことを知ると、軍から離脱してスパルタへ逃れ、シケリア遠征の責任者はニキアスになった。アテナイ軍は、シュラクサイ(シラクサ)に近いダスコン (Dascon) に上陸したが、ほとんど何も得るものはなかった。シュラクサイの防衛軍を率いていたのは、ヘルモクラテスであった。
- アルキビアデスは、公然とスパルタ軍に参加し、シュラクサイ支援のためにギュリッポス (Γύλιππος、Gylippus) を派遣すること、アッティケー(アッティカ)のデケレイア (Δεκέλεια、Decelea) の城塞化を説いた。アルキビアデスはまた、イオニアの諸都市に、アテナイへの反乱を起こさせるべく煽動工作をした。この結果、程なくしてスパルタ艦隊が同盟者であるシュラクサイ(シラクサ)を補強するために来援し、その後はこう着状態が続いた。
演劇
- エウリピデスの悲劇『トロイアの女 (The Trojan Women)』が、アテナイ軍によるメロス(Μῆλος、Melos、現在のミロス島)男性住民の虐殺(メロス包囲戦、紀元前416年)の直後に上演された。
誕生
死去
脚注
注釈
出典
関連項目
- 年の一覧
- 年表
- 年表一覧
![[映]紀元前1万年(字幕版)[SS] Gガイド.テレビ王国](https://api2.bangumi.org/repix/monomedia/pgimgs2/180000/180800/180898/610/1697088250.jpg)



