小原 伝(おはら つとう、1862年1月23日(文久元年12月14日) - 1928年(昭和3年)3月29日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
伊予国(現愛媛県)出身。今治藩士小原吉継の五男として生れる。陸軍幼年学校を経て、1880年(明治13年)1月、陸軍士官学校に入学。1882年(明治15年)12月、砲兵少尉任官。1884年(明治17年)7月、陸軍士官学校(旧5期)を卒業。1889年(明治22年)12月、陸軍大学校(5期)を首席で卒業した。近衛野砲兵連隊中隊長、陸軍砲工学校教官、参謀本部第1局員、ドイツ留学、第2軍参謀、参謀本部第1局員、オーストリア公使館付、ドイツ公使館付、陸大教官などを歴任した。
日露戦争では第12師団参謀長として出征した。野砲兵第3連隊長を経て、1908年(明治41年)12月、陸軍少将に進級した。対馬警備隊司令官、砲工学校長などを歴任し、1914年(大正3年)5月、陸軍中将となり、由良要塞司令官、第5師団長を勤めた。1917年(大正6年)8月、待命となり、1918年(大正7年)4月、予備役に編入された。
栄典
- 位階
- 1886年(明治19年)11月27日 - 従七位
- 1903年(明治36年)3月30日 - 従五位
- 1908年(明治41年)5月11日 - 正五位
- 1913年(大正2年)5月30日 - 従四位
- 1915年(大正4年)7月20日 - 正四位
- 勲章等
- 1895年(明治28年)11月18日 - 明治二十七八年従軍記章
- 1914年(大正3年)11月30日 - 勲二等瑞宝章
- 1915年(大正4年)11月10日 - 大礼記念章
親族
- 前妻:小原親子(1871–1899) - 陸軍大将川上操六の一人娘、脳膜炎による憂鬱症で29歳で早逝。
- 後妻:小原たま
- 養子:小原仲 - 高松高等裁判所長官
- 次兄:小原芳次郎(1852–1934) - 陸軍少将
- 娘婿:砂田重政 - 政治家
脚注
注釈
出典
参考文献
- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。



