矢田 一心斎(やた いっしんさい、1827年 - 1906年6月20日)は日本の柔術家。

経歴

文政10年(1827年)に生まれる。初名は鉄之輔(鉄之助)、後好男平正直とも称した。阿波国麻植郡川島町学島(現・徳島県吉野川市)の人。先祖は上桜城主篠原弾正の家臣矢田一徹である。

幼少より柔術を好み児島の粟飯原真吾に天神真楊流柔術を学ぶ。

嘉永5年(1852年)に修行に出て安房国で柳島信行に神楊心流を学ぶ。

後、浜松で柴新流を藤田銀八郎に学び工夫を加えて柴真揚流と称した。

蜂須賀氏に従い長州征伐に参加。廃藩置県後は徳島県等外三等出仕を命ぜられ、後学島村の村議を勤めた。

脚注


参考文献

  • 『阿波人物誌』

日本の遺産~矢田寺の遺産

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