田中 良平(たなか りょうへい、1982年11月18日 - )は、石川県小松市出身の元プロ野球選手(投手)。

実弟の田中靖洋は、良平がかつて所属したことがある千葉ロッテマリーンズに2022年まで所属していた。

来歴・人物

プロ入り前

高校生になってから投手に転向。森大輔(七尾工業高)・内海哲也(敦賀気比高)とともに北陸三羽ガラスと呼ばれた。

その後、2000年のドラフトで、千葉ロッテマリーンズから1位指名を受け入団。

ロッテ時代

ルーキーイヤーの2001年、2002年は一軍登板なしに終わる。2003年8月に一軍初登板を果たし5試合に出場する。

2006年から制球難克服のためサイドスローに挑戦。

2008年10月1日、球団から戦力外通告を受けた。その後12球団合同トライアウトにも参加したが獲得する球団はなく、メジャー挑戦のために渡米する。

オリオールズ傘下時代

2009年5月4日にボルチモア・オリオールズとマイナー契約。6月からAA級ボウイに合流。12試合の先発を含む21試合に登板し4勝4敗3セーブ、防御率3.00、WHIP1.32の成績を残した。

2010年もAA級ボウイで過ごし、22試合の先発を含む29試合に登板。8勝12敗、防御率5.64、WHIP1.45の成績を残した。

2011年は4月29日にアドバンスドA級フレデリックに降格。8月30日にAAA級ノーフォークに昇格し、31日のグウィネット戦で初勝利。マイナー通算では20先発を含む31試合に登板し、10勝5敗1セーブ、防御率3.33、WHIP1.20の成績を残した。ポストシーズンではアドバンスドA級ポトマックとのプレーオフ第4戦に登板し、6回2安打2四球5三振無失点と好投したが勝敗は付かず。キンストンとの優勝決定戦第4戦では5回6安打無四球7三振2失点の投球を見せ、チームの優勝に貢献。オフには日本の12球団合同トライアウトに参加した。

2012年3月27日、ノーフォークを解雇された。

引退後

2013年より、元読売ジャイアンツ等に所属した小野剛が塾長を務める「GSL野球塾 PRIMAVERA LIONE(プリマヴェーラ・リオーネ)」の講師に就任。また、小野が代表を務める中学生硬式野球チーム「狭山西武ボーイズ」の投手コーチも務めている。

2015年1月30日には学生野球資格を回復し、その後東洋学園大学硬式野球部のコーチも務めている。

2023年1月5日に千葉ロッテマリーンズの東海・北信越担当のスカウト就任が同球団から発表された。

詳細情報

年度別投手成績

記録

  • 初登板:2003年8月26日、対大阪近鉄バファローズ22回戦(千葉マリンスタジアム)、7回表に4番手で救援登板・完了、3回3失点
  • 初奪三振:同上、7回表に星野おさむから
  • 初先発:2003年9月9日、対西武ライオンズ24回戦(西武ドーム)、2回4失点

背番号

  • 36 (2001年 - 2003年)
  • 19 (2004年 - 2005年)
  • 99 (2006年 - 2008年)

脚注

関連項目

  • 石川県出身の人物一覧
  • 千葉ロッテマリーンズの選手一覧
  • 日本人のマイナーリーグ選手一覧
  • 兄弟スポーツ選手一覧

外部リンク

  • 個人年度別成績 田中良平 - NPB.jp 日本野球機構
  • 選手の通算成績と情報 Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
  • 田中良平 - Future's Baseball Academy 野球教室・野球合宿
  • 田中良平 - 株式会社デュアルアームス エージェント
  • 田中良平 - 公式ブログ 田中良平のマイナーなblog

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