1991年ブラジルグランプリ(1991 Brazilian Grand Prix)は、1991年F1世界選手権の第2戦として、1991年3月24日にインテルラゴス・サーキットで開催された。
予選
結果
- DNQは予選不通過、DNPQは予備予選不通過。
決勝
結果
エピソード
アイルトン・セナは80年代後半以降、優れた才能と当時最強を誇ったホンダエンジンを擁し、数々のGPを制覇しドライバーズチャンピオンにも輝いている。しかし、そんな彼も何故か母国であるブラジルGPにおいては、トラブルなどもあり一度も優勝できてないでいた。この年、念願であった母国グランプリをようやく初制覇した。チェッカーフラッグを受けたセナは、歓喜のあまり子供のような大きな声で号泣した(ブラジルの放送局は、マクラーレン・ホンダの無線を傍受していた。コックピット内で号泣するセナの泣き声は無線を通じ生中継でも流れた。この事は翌年以降マクラーレンが傍受が困難なデジタル無線を導入するきっかけとなったとされる)。
なお、セナのドライブするマクラーレン・MP4/6とホンダ・RA121Eエンジンは、何の因果かそれまでの母国GP同様、重大なトラブルに見舞われていた。決勝レース終盤に次々とギアが抜けていき、残り6周前後の時点で6速以外のギアが全て使用不能となる事態に陥っていた。そのためセナは残り周回を全て6速ギアだけで走りきらなければならなかった。当然ラップタイムは低下し、2位のパトレーゼに急激に差を詰められたが、前半で貯めたアドバンテージや気迫の走り(致命傷となるエンストを避けつつ、加速中にクラッチを「蹴り込んで」強制的に回転を上げるなど)で何とか逃げ切りを果たした。
それらの要因もあってか、セナはウイニングラン中にコース上でマシンを止め、表彰台にも疲労困憊の姿で現れた。腕に力が入らず、優勝トロフィーを頭上に掲げられないほどであった。
脚注



